「整える」ではなく、「整う」をサポートする

子どもたちの育ちを考えるのであれば、「整える」ことではなく、子どもが自ら「整う」ことをサポートしなければなりません。

例えば、「静かにしなさい」の言葉の背景にある本来の目的は「周りを見て、適切に判断できる心を持ちなさい」ということです。

ですから、「静かにしなさい」という単純な命令によって静かになったのは、根本的な傷を治そうとせず、麻酔を打って痛みを消した状態に過ぎません。

おへそ保育園では、「子どもたちが先生の話を聴かない」という問題が出た時に、まず自問すべきことは、「話に中身があって、子どもの心を掴むような話し方、伝えて方をしているのか」ということです。

先生の話も面白くない、さらに一辺倒に「静かにしましょう」「手を洗いましょう」ということでは、整えることはできても、一向に子どもが整うことはありません。

ただただ流れ作業のように「今日は〇〇をしましょう」と子どもたちに伝えようとしても、子どもたちにとっては「またか」といういつものつまらない話になっているかもしれません。

その状況でも、子どもを整えようとしていれば、将来、とりあえず表面的に返事をして、表面的に聴いている表情をして、表面的に理解している風に見せる技術を高めることにつながっているだけかもしれません。

子どもを「整えよう」としているのか、子どもが「整う」ことをサポートしているのか、今一度、私たち大人は考える必要があるかもしれません。



0コメント

  • 1000 / 1000