誤った「褒め方」では、自尊心が育たない?

アメリカの心理学者マーティン・セリグマンは、子どもの気分をよくするために、実際の成果にかかわらず大げさな称賛をすると、逆に自尊心を損ね、 学習内容の習得を困難にすると言っています。


私たちの認識として、「褒めること」は良いことであるというものがあります。しかしながら、褒める方によっては、子どもたちの自尊心さえ損ねてしまうということなのです。


子どもを怒る行為も同じとが言えます。子どもを叱りつけて行動をコントロールしようというのは、「そういうことをしていると私はあなたに罰を与えますよ。」というメッセージが隠されている場合があります。

褒めるという行為も同じく、時に人は子どもを褒めて行動をコントロールしようとします。褒めるという報酬によって子どもの心を動かそうとします。


怒る行為、褒める行為も、罰か報酬かの違いだけであり、その行動そのものが適切か不適切か考えることを重視せず、何がで「釣って」子どもを動かしていることになっているのかもしれません。


以前のブログで書いたように、発達心理学者のマイケルトマセロも「褒めること」や「親の報酬」によって、人に貢献しようとする援助行動が増加することはないと言っています。

人は意欲・貢献・規範という3つを持って生まれてくると言われています。そもそも備わっている人に貢献しようという力を、「罰や報酬(褒めること)」によって促そうとすれば、それを目的とするようになり、行動そのものに目的を見いだせなくなってしまうかもしれません。


ではどのように子どもたちに対応していけば良いのでしょうか。


心理学者のアルフィー・コーンは、

「褒賞や罰は、子供が親の言うことを聞くというな短期的な結果を得るには有効かもしれないが、長期的には逆効果である」「責任感があり他を思いやれる人間になる、というような長期的な目的のために、親が子供に何をするべきなのかを考える必要がある。それは褒賞や罰を与えることでは得られない」

と言っています。


また、褒める代わりに、子どもが達成したことに、簡潔で、評価を含まない意見を言ってあげることを推奨しています。


丁度、今日、2歳児の女の子が、ご飯の前に机を拭くお手伝いをしてくれていました。これを「すごいね!」と言ってしまえば評価になってしまい、「机を拭いてくれてありがとう」と伝えれば感謝になります。女の子は褒められるために机を拭いていたのではなく、お手伝いをしたいからしていた。だけなのです。それを過度に褒め過ぎることによって、次は「褒められるために行動しよう」という力にシフトしてしまうことになりかねません。


幼児期においては罰や報酬、評価によって動かされる時期ではなく、本人たちの意欲や貢献したい気持ちを大切にすることで、「評価のためでなく、誰かのためでもなく、自分自身の心から湧き出るような意欲」をしっかりと引き出してあげ、自分自身もそれを大切に感じることによって、将来の自主性や、自分を認める力=自尊心につながっていくのではないでしょうか。

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