世界で生きるチカラ②本当の生きるチカラとは?


グローバルな人を育む。グローバル人材。という言葉をよく耳にするようになりました。

おへそ保育園でも、開園から「国際理解教育」を取り入れ、違いを受け入れたり、楽しんだりする心を子どもたちと共に学んできました。


国が掲げるグローバル人材の定義とはどのようなものでしょうか。

2012年6月に発表された「グローバル人材育成推進会議」での定義。


要素Ⅰ:語学力・コミュニケーション能力
要素Ⅱ:主体性・積極性、チャレンジ精神、協調性、柔軟性、責任感・使命感
要素Ⅲ:異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティ


となされています。

かつて中学校から始まった英語の授業は、2011年から「外国語活動」という形で小学5年生から導入されていますが、著者が「英語による簡単な歌やゲームといったもので、小学5年生が学ぶようなレベルではありません」と言っているように、幼稚園児がやるようなレベルに留まっているのも現実です。

語学を学ぶには、最低でも2000時間~5000時間が必要だと言われているそうで、日本での高校での英語学習時間は最大でも1000時間程度。ということで、語学の学習という点では不足がありそうです。


しかし、語学を必要とした時に、現地に留学や国内でも様々な機会を通じて、学ぶことは十分にできるように思います。実際に私のアメリカの友人は、アニメ映画(日本語)を毎日見続けて、日本に来たこともないのに、ほぼほぼ日本語をマスターしています。ただ、「ったく、もう!」などアニメ口調ではありますが(笑)


語学力は、あくまでグローバル人材に必要な1つの要素、手段に過ぎず、やはり基盤となるのは、要素Ⅱ(主体性・積極性、チャレンジ精神・柔軟性、責任感・使命感)と要素Ⅲ(異文化に対する理解と日本人としてのアイデンティティ)」になってくるのではないでしょうか。

それらの要素は、決して世界で仕事をするとかしないとかではなく、人がたくましく生き抜くために必要な力です。


当園での国際理解教育というのは、主にそういった部分を強く意識しながら行っておりますが、その背景に「多様性を受け入れる心」というのが日本には欠如しているように思えるからです。聖徳太子の「和を以て貴しとなす」の言葉通り、争いではなく、和の心で人を認め、耳を傾けることの大切さを日本は今でも課題として残っています。少しの違いがあればイジメに合い、辛い思いをしている子もたくさんいることでしょう。それは、子どもの社会だけではなく、大人の社会でもそういう場面がたくさんあります。


GDPが高いアメリカや日本、中国が、幸福度では他国に劣る背景を見て、著者はこう言います。

少なくとも私は、一部の人間しかたどりつけない、一つのヤマの頂点を目指すようなアメリカ型社会よりは、個人のスキルや専門性が高く評価され、登るべき山も、そこにいたる道も複数ある山々が重なる、山脈のようなヨーロッパ型のほうに、強い魅力を感じます。ピラミッドの頂点は一つしかありません。だからこそ、その頂点はできるだけたくさんあった方がいい。その方が多くの人にとって幸せに違いないのです。


同じ方向を同じ方法でめざすのではなく、それぞれが個性や魅力を出し合い、違いがあり、様々な専門領域で、得意分野を生かし合い、競争よりも協力する社会が必要でしょう。それぞれが「同じ」ことでなく、それぞれの違いを「認め合い」、共生して、それぞれの「幸せ」が追及できること。それが平等であり、必ずにも「同じ」ことが、平等や幸せとは限りません。


日本の学校でも、偏差値によって「進路指導」が行われています。点数ありきで将来が決まると言っても過言ではありません。根本の「何を学びたいか」「将来どうなりたいか」というのは、おざなりにされいます。

子どもの意欲を大切に、日本でも世界でも、どこでも良いので、他との違いを受け入れ、違いを楽しみ、個性と魅力を生かし、自分の使命を感じて、社会に貢献することを喜びに感じながら、たくましく生きていく力を世界基準で考えていきたいと思います。


次回につづく

参考文献:「世界で生きるチカラ」国際バカロレアが子どもたちを強くする


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