吉村 直記

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「得意を生かすチームづくり と 子育て」

寒さも日を追って厳しくなってまいりました。寒さも楽しむおへそでは最近、園庭で「焚き火」をしています。焚き火は子どもたちも大好きなようで、何も言わずとも周りに集まってきてくれます。子どもたちとゆったりコミュニケーションする機会にもなりますし、火のおこし方、火の危険等も一緒に伝えることもできています。寒さも暑さも、何事も学び、楽しむ機会にすることができることを子どもたちと共有しています。 11月は「OHESO ART FESTA」が開催されました。おへそで実施しているアートの取り組みを保護者さんに見ていただく機会、そして、アートフェスタの最後は、アーティストでもありおへその保育士由美子先生にワークショップを開催していただき、クリスマスアートを親子で楽しみました。
おへそグループは、得意を生かし合うことをとても大切にしています。人は万能にはなれません。今までしっかりと学んできたことで子どもたちに貢献することが一番、子どもたちに伝わる手段です。由美子先生はこれまで「アートと保育は別」と考えられていたようでしたが、おへそではその必要はありません。好き・得意なことで子どもに貢献すればお互いに幸せになれます。今でも習字をずっと学び続けているつかさ先生には、子どもたちに習字を教えていただいています。器械体操をずっと続けてきた見保先生には、体育を教えていただきます。音楽が得意なひかり先生は、生活発表会での選曲も抜群です。他にも得意を発揮してくれている職員がたくさんいます。仕事をしている時間は、生きる時間の大きな割合を占めます。その時間を辛い労働とするのか、それともワークを自身の充実したライフに変えていくのか、を考えることはとても重要なことと思います。  「人には良いところがひとつくらいある、神様が与えてくれるいるから」と小さい頃に恩師に教えてもらった言葉はおへそのチームづくり役立てることができています。「好きこそ物の上手なれ」のことわざ通り、人は興味関心があることには全力で注力することができるようになります。それぞれの良いとこと、得意を生かす精神は子育てにも生かすことができます。子どもも得手、不得手があります。良いところ、キラリと光ることが一つはあります。その点をしっかりと見つめてあげ、言葉にしてあげる。そうすることで、その良いところが磨かれ、その子の魅力がどんどん輝いていきます。良いところを見つける練習はいつでもできると思います。会う人、会う人、行く処、行く処の良いところを見つける。そんな小さな積み重ねが、目の前の不満から、良いことを見つけ出すことができるように成長し、結果的に、人生を豊かに幸せにしてくれます。  今年は最後のお便りとなります。4月おへそこども園が開園し、規模が大きくなり、様々な困難、うまくいかないことが増えたのも事実です。しかしながら、職員一人一人がおへそのことを思い、支えてくれました。また、保護者さんからもたくさんのねぎらいの声をいただき、子どもたちにはたくさんの笑顔をもらいました。そういう支えがあって、おへそは、成長し続けることができています。感謝してもしきれません。来年もおへそをより魅力的な場所にしてまいります。ご指導ご鞭撻のほど、どうぞ宜しくお願いいたします。  おへそグループ統括園長 吉村直記

共に生きる仲間

おへその職員は、子どもたちのことを一所懸命に考えています。たくさん不足もあって、御指導をいただくこともたくさんあるけれど、毎日毎日、子どもたちがいかに楽しくなるか、いかに幸せになるかということを一所懸命に考えています。なかなか、職員が自分から言うことではないので、自分が代弁するのですが、悩んだり、苦しんだり、涙を流しながらも、「子どもたちのために」という想いを強く持つ情熱を持った職員たちです。時にはぶつかることもあるのだけれど、その時も、自分の都合ではなく、子どもたちのことを考えた結果、意見や価値観が違うことによって起きています。自分のことだけ考えていれば、スルスルと意見を合わせておいて、時間が来たら、「はい、仕事終わり」と思えばいいのだろうけど、それを選ぶことはなく、情熱を持って子どもたちに向かっています。ありがたいな、と心から思います。知人からの言葉なのですが、「子どもたちはね、どんな風に育てたかではないの。やっていることが少々間違っていても、一所懸命、どうしようか、どようしようかと、考えてあげて、子どもに正面からぶつかっていることに、子どもは応えてくれて、結果的には育っていくのよね。」自分の経験を振り返っても、まさにそうだと思います。子どもたちに何を教えてあげているか、職員に何を伝えてあげているか。そんなことを考えてもなかなか出てきませんが、共に同じ時代を生きている仲間、同志と思えば、全力でぶつかることだけはできています。子どもたちや職員を通じて、結果的に自分自身が人生に一所懸命になることができていますし、たくさんのことを考え、たくさんのことを経験させてもらうことができています。やはり、そう考えていくと、吉川英治氏が宮本武蔵で書かれた「我以外皆我師」がいつも脳裏に浮かんできます。自分以外すべては師匠、先生で、子どもたち、保護者、職員、出会う人、出会う人、すべてが様々な学びを提供してくれています。今、目の前にいる人はすべて同じ時代を共に生きる仲間です。先生が偉いもないし、親が偉いも、上司が偉いもない、子どもたちも職員も共に生きる仲間、同志として、共に学び合っていくことができるこの場所を改めて素晴らしいなと心から思います。

子どもらしさとは何か

「子どもたちが落ち着いていますね。」これは保育業界でのthe褒め言葉とされているらしい。他園の視察を見ても、みんなが口を揃えて「落ち着いて凄い」とか、「落ち着いて過ごしてますね」とこぞって褒めます。ちなみに、日本酒を「美味しいよ」と勧められてテイスティングした時のthe褒め言葉は、「飲みやすいですね」です(笑)落ち着いてる子どもは本当に凄いのか。私は子どもは大声を出したり、鼻水垂らしてたり、鼻くそを食べたり、ケンカしたり、泥だらけで遊んだり、泣いたり、怒ったり、拗ねたり...落ち着く暇もないのが子どもだとも思っています。それが子どもらしさとも思います。もちろん発達的に落ち着いてくることは自然なことですが、落ち着くことを評価し過ぎるのもどうかと思います。落ち着く前に、エネルギーがあってパワーがみなぎる環境を目指したい。落ち着いてますね。より、元気いっぱいですね。と言われる場所にしたい。落ち着く暇もなく、元気に遊んでいる姿を理想にしたい。ここ2日間は東京で施設の視察をしています。民間の学童保育園では、狭い部屋に30~40人の子どもたちがいて、22:00まで過ごしています。大人しく、落ち着いて、宿題や勉強しながら待つ子どもに違和感を感じてしまいます。本当に子どもは幸せに向かっているのかを考えてしまいます。おへそは、子どもが子どもらしくいれる場所を目指していきたい。子ども本来の意欲、エネルギーを引き出せるよう、さらに環境を考えていきます。

子どもの生活習慣について

子どもたちが自由に選択し、考え、行動するためには、責任と自立が必要になります。
 自由にいいよ。と行っても、洋服を脱ぎっぱなしより、丁寧にたたむ習慣があった方がいいし、
歯磨きにしても、丁寧に磨いて、歩きながら磨かない方がいい。

自由にできる、ということは、「見守っても大丈夫な子ども」「自分で考えて行動しても大丈夫な子ども」を育てて行く必要があります。その習慣をいかに考え、保育できるかを検討していく必要があります。 「トイレ行っておいで!」と言っても、「トイレの紙はどんなふうに扱っているのか」「衛生的な拭き方をしているのか」「ズボンの上げ下ろしはうまくいっているのか」「男の子は、ちんちんは最後は振ってから尿を落としているか」等、排泄の自立というのは、「おむつが外れたから終わり」ではなく、その後もサポートが必要なことがたくさんあります。 その生活習慣にしっかり焦点を当てて、丁寧に丁寧に伝えていく必要があると思っています。  発達支援ではまさにそういう部分が強烈に指導されます。 生活習慣が身につかなければ、命にも関わってくるからです。 
でも、一方で、出てきた現象(困った行動)を指摘した所で、子どもの行動は変わることはあまりないと思います。
例えば、「ホームランを打てよ!絶対打てよ!」という野球の監督はいないと思うのです。
「球をしっかり見ろよ」とか、「重心をしっかり落として」等、ホームランを打つためのプロセスが結果的にホームランにつながるわけです。
 ですから、「話を聞きないさい」は子どもの問題行動ではなく、

「話が聞けるまでの力が育っていない」ということですから、

話が聞けない子がいた場合には、「話が聞ける練習はどんなことが必要かな」と考えてあげるわけです。
すると、個別にトレーニングを考えてあげるとか、その子たちでも集中できるための伝え方、環境を作ってあげるとか、支援の方法が見つかるはずです。 
ですから、「話を聞きなさい」は「ホームランを打ちなさい」と同じなのです。
ホームランを打ちたいけど、打つためのスキル、力がついていない。
だから、そのための練習メニューは何か。ということです。

「ダメよ」「ちゃんとして」「しっかり話聞いて」「騒がないのよ」
という指摘もすべて、「ホームランを打ちなさい」なのです。 子どもの行動のプロセスに戻って、練習メニューを再構築する必要があるのです。  もうひとつは、言葉づかい。 人にお願いする時は、「~をしてください」と丁寧な言葉が出るような習慣があった方がいいと思います。
家族間でも、彼氏彼女でも、兄弟姉妹でも、友達でも、職場の仲間でも「~して!」と言われるより気持ちよくなるわけです。

ですから、子どもたちがより適切で丁寧な言葉が使えるように教えてあげることも必要です。
「~して」と言われた時に、「~してください。と頼むんだよ」と教えていただきたい。

そして、一番重要なのは、職員、大人同志で必ず、100%実践してもらいたい。
「~をお願いします」と夫婦でも、後輩や仲の良い職員間でも、周りの大人がまずは実践していくことが大切だと思います。
 その上で、子どもが「~してください」と言わないと、絶対に要求に応えないよ。
という姿勢だけでもいけないと思うのは、その時の子どもの気持ち、甘えたい感情、そのあたりをしっかりと受け止めてあげて、言葉にならない言葉をそっとサポートしてあげたり、少し余白も必要かと思います。

ですから、絶対に100%、子どもが「~してください」と言わないと応えないか、
というとそうでもない。子どもの気持ちがどんな状態か、今、そういうことを学べる力が育っているのか、
それも含めて子どもをサポートをしていく必要性があるかと思います。 

「一人一人の発達支援」=「保育」

空手の練習をする際に、筋肉トレーニングが必要な人、突きの練習を強化した方がいい人、
蹴りの練習を強化した方がいい人など、一人一人に合った課題を踏まえて練習メニューを準備することで効果がより上がります。 一斉的に行う練習も互いを高め合うために必要な場面もありますが、やはり、少人数で一人一人に合った指導、練習を行うことは重要です。
 しかし、必ずしも保育現場がそういう感覚を持って保育を行っているかと考えるとまだまだ個別的に発達を促すことは不足しているように思います。 例えば、「箸の持ち方がうまくできない子」がいた時に、「こうして持つんだよ」というその場での言葉がけはあっても、
「箸をうまく持つための練習メニュー」を保育者が考え、計画的に箸の持ち方を教えるというところまでの実践を行っていることは少ないように思います。  「はみがき」でも同じことが言えて、「はみがきをしなさい」とは伝えるけれど、どの部分をどの位磨けば良いのか、どこから順番に磨いた方が良いのか等の実践までのプロセスを教えられることも少ないのではないでしょうか。 例を出すとキリがないのですが、「成長しなさい」と言われても、「成長するための練習メニュー」を準備するか、「成長するために自分自身が練習メニューを考えるか」のどちらかが存在しなければ、 成長につながらない、ということと同じです。
 非定型発達の子どもであれ、定型発達の子どもであれ、それは同じことです。 大人の私たちでも、仕事にしても何にしても、苦手な所は、失敗を繰り返すけれども何度も練習して達成しようとします。 一人一人、できることと、できないことがあります。 英語で「障がい」のことを「Disability」と言います。 日本では「障がい」と聞くと、治ることのないもの。
と感覚的に捉えてしまいがちですが、英語を直訳すると[dis][ability]なので「できないこと」です。

そう考えると、
障がい者ではなく、「できないことがある人」です。 
自分自身においても「できないこと」なんてごまんとあるわけです。 「できないこと」「苦手なこと」を少しずつ「できる」に変えていき、「得意」を伸ばしていくこと。

それが、一人一人の発達教育であり、保育であると、最近になって強く思っています。 具体的な実践につなげるために、日々の保育環境を再度構築し直していきたいと思います。

10月あいさつ「真の学びとは何か」

少し肌寒い日々が続いております。冬になると、夏が恋しくなり、夏になると冬が恋しくなります。日本の偉大な哲学者・教育者の森信三先生は、「暑い、寒いと言わなくなったら一流」という言葉を残されています。その言葉を思い出す度に、自分の未熟さを痛感しているところです。 さて、学童の子どもたちから「漢字の宿題で5日間 はなまる を続けたら『宿題パス券』というご褒美を貰える」ということを聞きました。「ご褒美で宿題パスなの?」と聞き返すと、「うん、頑張ったからね」という返答がありました。皆さんはどういう風に思われたでしょうか。私自身、ご褒美に宿題をパスできると聞いた時に、「学びというものは辛くて、嫌なものだから、たまには休んでいよ。」というようなメッセージに聞こえてきました。考え過ぎと言われればそれまでですが、世界には学びたくても、学べない子どもたち、学校に行きたくても、行けない子どもたち、数年前に当園の生活発表会の題材になった「世界の果ての通学路」に出てきた子どもたちのように何時間もかけて命を危険を冒してでも学校に学びに行く子どもたちがいます。そんな子どもたちが日本には「宿題をしないご褒美」があると知れば、どんな気持ちになるでしょうか。  そんな話を職員にすると「園長先生、それだったら『宿題グレードアップ券』があればいいですね」と言うのです。その子はもっと学びたい欲求があるので、パスという形ではなくて、「次の課題に進める」というご褒美を渡したらどうかという意見です。素晴らしいと思います。園での様子を見ていても、子どもは元来、学ぶことを楽しいと感じています。それを、「学びをパスすること」をご褒美にしては、直接的な表現でなくても、子どもたちに「学び」という定義がどう伝わっていくかが不安になってしまいます。正解、不正解というものはないかもしれませんが、ご家庭でも「宿題パス」について哲学してみても面白いかもしれません。  話は変わりますが、先日、哲学の時間を見ていると、みんなの輪の中に入れずにゴロゴロと寝転がりながら過ごしている子がいました。友達についてのテーマだったのですが、その子が最後の方でボソッと「僕のお友達は、〇〇くんと〇〇ちゃんだよ」と教えてくれたのです。「ちゃんと聞いていない」「学んでいない」「落ち着きがない」という見方もできるかもしれませんが、子どもは案外、そういう状況で学んだり、聞いたりしていることもあると思います。学んでいることと、姿勢良くしていないことは、「学び」と「マナー」で切り分けて考える必要もあるように思います。  今年度も後半に入りました。年度末に向けて、さらに子どもたちが「自ら育つ(学ぶ)環境」を職員一同追求してまいりたいと思います。まだまだ、日々の保育でもたくさんの不足、至らぬ所があるかと思います。保護者様に引き続き助言、ご指導をいただきながら、真摯に向き合い成長してまいります。  おへそ保育園・こども園・学道場統括園長 吉村直記

発達段階で達成できる 環境構成

おへそこども園3・4・5歳児のクリエイティブの環境です。 ハロウィンに向けて、子どもたちが自分たちでコウモリを作れるように準備されています。 
コウモリが最初から作れるようになっているのもあれば、
途中まで作っているのもある。
 羽を切っているのもあれば、
羽を切らずに線だけ書かれているのもある。
 折り紙を貼っている状態のものもあれば、
自分で張れるように準備もしてある。 
様々な発達段階でも達成できるように配慮してあります。
 ハサミを使える子もいれば、あまり使えないけど、ちょっと挑戦したい子もいる。 そういう、それぞれの発達段階でれぞれの意欲、関心が持てるように環境を準備することは子どもたちの育ちの過程でとても重要になってくると思います。クリエイティブの環境も、テープやのり、くれよん、はさみ、マジック、自然素材等、一般的な園では手に取って欲しくないと思えるようなものをあえて、子どもたちの手の届く所に置いて、自由に使わせています。「使わせない」のではなく、「ルールを決めて使わせて、使い方を学んでいく」という方向に変わっていく必要があると思っています。多分、綺麗に片付いた保育室で心地が良いのは大人の方で、色々な環境があって、子どもが選択できて、子どもが自由に探求できることの方が子どもの育ちとしては必要でしょう。綺麗に片付けられた保育室に「トイレに行かせる待ち時間だけ、ブロックを出して遊ばせる」みたいなことは、「保育園あるある」ですが、そういうことは早く無くなってくれれば良いと思います。

「やってあげる子育て」から「成長を応援する子育て」へ

 子どもたちに、気晴らしに何をしますか?と聞いて、ほとんどの子どもが「寝ること」と答えるのは、日本人だけだと言われているそうです。いつも先生の言うとおりにする、いつも決まったルールの中で過ごす、いつも誰かがつくった環境の中で、『行動させられる環境で生きていること』も原因でしょうか。寝ることはもちろん大切なことですが、寝る間も惜しむほどの意欲があることは素晴らしいことと思います。子どもの環境として、本来子どもが「食べる」ことが「食べさせられている」ことになっていないか、「トイレに行く」ことが「トイレに行かせられている」ことになっていないか、「ルールを守る」ことが「ルールを守らせられている」ことになっていないか等、世の中にはたくさんの見直すべき環境があるように思います。当園では3・4・5歳児に関しては、子どもたちが自分の言葉で、食べたい量を保育者に伝えます。ご飯やその他自分でよそえるものは自分でよそって食べます。子どもたちは自分で選択した意思があるので、与えられるものを食べるよりも意欲を持って食に向かいます。 藤森平司氏の著書には以下のような事例も書かれています。 『学童クラブの先生から、ある1年生の男の子がまだおもらしをして困っているというのです。私は、それは本人が排泄の自立ができていないのかと聞いて見ました。どうも違うようです。本人は何かをしているときに脚を交互に組んだりしてむずむずしているので、「トイレは?」と言うと「あっ、そうか」と言ってトイレに行くそうです。どうも、声をかけないと行かないようです。小学校に入る前はその子はある保育園に通っていたそうですが、その保育園では時間の区切りに先生が、「さあ、トイレに行って!」といつも声をかけていたようです。学童クラブでは、時間の切れ目はなく、時間を見計らって声をかけてはもらえません。やっと少しずつ自分で行くことを覚えた頃に親から要求が来ました。「学童でも、きちんとトイレに行くように声をかけないから、この子はお漏らしをしてしまうのです!」本当に子どものことを思って、いるのかと考えてしまいます。』  しかし、いくら子どもの自立と行っても子どもができないことを無理にさせるということではありません。子どもはお母さん、お父さんが、どんな時も「守ってくれる」という安心感があって、チャレンジする意欲が出てきます。「何でも自分でやりなさい!」という投げやりでは、うまくいかないことも多いかもしれません。子どもがちょっと努力すればできること、ちょっと挑戦すればできること、そういう部分は大いに任せてあげる。一方で「お母さん手伝って…」という要求を出すことができることも一つの成長ですので、要求に応えることもその子の成長です。その塩梅をご家庭でもたくさん話し合っていただきながら、保護者、園が一体となって、子どもの成長に必要な応援をしていくスタンスで子育てに関わっていければいいなと思います。9月は年中・年長さんが参加する合宿があります。年長さんを中心に、チームの名前から、現地でのプログラムまで子どもたちが協議し、企画しています。自立・協力・共生を目標にして、しっかりと学んでまいります。 平成29年 9月お便り園長あいさつより

おやつの環境

開園から数ヶ月、子どもも職員も落ち着きはじめ、保育の中身について少しずつ改善を進めています。本日からおへそこども園では、朝の園庭開放を進めています。2歳児のおやつもウッドデッキで食べることに。子どもが外に出ている中、デッキで「おやつ」の準備をすると自然と2歳児が集まってきて食べ始める姿が見られます。時間や順番等は、それぞれの子どもたちに裁量があり、子どもたちに選ぶ権利があります。おやつがどうしても食べたくない子は「食べなさい」ではなく、朝食の時間帯やその子に必要な栄養量を満たしているのだと園では認識します。この一連の流れが、園が大切にする子どもが能動的に動いている状況で、「おやつよ!食べなさい」という指示ではなく、子どもが主体的に興味関心を持って、おやつに向う構図です。 オランダのイエナプラン教育をはじめたペーター・ペーターセンは、こう言っています。 「罰や怖れ、強制によって生み出される《良い行動》は、一人の人間である子どもの個人的な生にとっては何の意味もないことであり、社会にとっても意味のないことである」 今後は、おやつの準備を手伝ってもらったり等、より主体的に子どもが自然と行動できるよう工夫をしていこうかと思います。

明るく笑う「いい子」がなぜ罪を犯すのか

「いい子に育てると犯罪者になります」の著者 岡本 茂樹 氏は、以下のようにおっしゃっています。 意外なことに、刑務所への出入りを繰り返す累犯受刑者には「いい子」だった者が多い。
自分の感情を素直に出さず、幼少期から無理を重ね、親の価値観を押し付けられ、親の期待する役割を演じることに耐えられなくなった時、積もり積もった否定感情が「犯罪」という形で爆発するのだ。
健全な子育ては「いい子」を強いるのではなく「ありのままの姿」を認めることから始まる。 幼少期に、私たちは知らずしらずのうちに価値観を取り組んでいます。
「ちゃんとしなさい」という言葉で、本来の欲求を抑圧され、子どもたちは自分の欲求を我慢し、甘えれることなく大人になっていきます。
「なぜ、こんな立派な人が・・・」と思えるニュースがたくさんあります。 ちゃんとした大人に見える人でも、抑圧された欲求があればあるほど、たかが外れると、その反動は大きいように感じます。

人は刷り込まれている価値観と「反対のことをする人」を許せないと岡崎氏は言っています。
「行儀よくしなさい」と言われて育てば、行儀よくない人を許せなくなり、行儀がよくない自分自身も許せなくなります。

正しいと思い込んでいる価値観を持っていればいる程に、違う価値観を受け入れづらくなります。 「いい子」の形ばかりを追い求めれば、監視する大人の前では感情を抑圧します。整っているように見えても心の中では、「言い分」を聞いてもらえない寂しさを持ち、整うことを演じている「いい子」になってしまうかもしれません。 非行少年や受刑者も、最初は親の厳しいしつけに従おうとし、殴られることや怒られることが嫌で、そして、愛されたい一心で、「しつけ」に従い、「いい子」になり続けるプロセスがあるといいます。刑務所で刑に服した受刑者は、反省をし続け、さらに、本音を抑圧され続けます。しかしながら、再犯率は、49.5%という驚くべき数字です。「罰を与えると、人は悪くなる。愛を与えると、人は良くなる。」岡本茂樹氏の言葉を旨に、引き続き、子どもたちに向き合っていきたいと思います。