吉村 直記

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「一人一人の発達支援」=「保育」

空手の練習をする際に、筋肉トレーニングが必要な人、突きの練習を強化した方がいい人、
蹴りの練習を強化した方がいい人など、一人一人に合った課題を踏まえて練習メニューを準備することで効果がより上がります。 一斉的に行う練習も互いを高め合うために必要な場面もありますが、やはり、少人数で一人一人に合った指導、練習を行うことは重要です。
 しかし、必ずしも保育現場がそういう感覚を持って保育を行っているかと考えるとまだまだ個別的に発達を促すことは不足しているように思います。 例えば、「箸の持ち方がうまくできない子」がいた時に、「こうして持つんだよ」というその場での言葉がけはあっても、
「箸をうまく持つための練習メニュー」を保育者が考え、計画的に箸の持ち方を教えるというところまでの実践を行っていることは少ないように思います。  「はみがき」でも同じことが言えて、「はみがきをしなさい」とは伝えるけれど、どの部分をどの位磨けば良いのか、どこから順番に磨いた方が良いのか等の実践までのプロセスを教えられることも少ないのではないでしょうか。 例を出すとキリがないのですが、「成長しなさい」と言われても、「成長するための練習メニュー」を準備するか、「成長するために自分自身が練習メニューを考えるか」のどちらかが存在しなければ、 成長につながらない、ということと同じです。
 非定型発達の子どもであれ、定型発達の子どもであれ、それは同じことです。 大人の私たちでも、仕事にしても何にしても、苦手な所は、失敗を繰り返すけれども何度も練習して達成しようとします。 一人一人、できることと、できないことがあります。 英語で「障がい」のことを「Disability」と言います。 日本では「障がい」と聞くと、治ることのないもの。
と感覚的に捉えてしまいがちですが、英語を直訳すると[dis][ability]なので「できないこと」です。

そう考えると、
障がい者ではなく、「できないことがある人」です。 
自分自身においても「できないこと」なんてごまんとあるわけです。 「できないこと」「苦手なこと」を少しずつ「できる」に変えていき、「得意」を伸ばしていくこと。

それが、一人一人の発達教育であり、保育であると、最近になって強く思っています。 具体的な実践につなげるために、日々の保育環境を再度構築し直していきたいと思います。

10月あいさつ「真の学びとは何か」

少し肌寒い日々が続いております。冬になると、夏が恋しくなり、夏になると冬が恋しくなります。日本の偉大な哲学者・教育者の森信三先生は、「暑い、寒いと言わなくなったら一流」という言葉を残されています。その言葉を思い出す度に、自分の未熟さを痛感しているところです。 さて、学童の子どもたちから「漢字の宿題で5日間 はなまる を続けたら『宿題パス券』というご褒美を貰える」ということを聞きました。「ご褒美で宿題パスなの?」と聞き返すと、「うん、頑張ったからね」という返答がありました。皆さんはどういう風に思われたでしょうか。私自身、ご褒美に宿題をパスできると聞いた時に、「学びというものは辛くて、嫌なものだから、たまには休んでいよ。」というようなメッセージに聞こえてきました。考え過ぎと言われればそれまでですが、世界には学びたくても、学べない子どもたち、学校に行きたくても、行けない子どもたち、数年前に当園の生活発表会の題材になった「世界の果ての通学路」に出てきた子どもたちのように何時間もかけて命を危険を冒してでも学校に学びに行く子どもたちがいます。そんな子どもたちが日本には「宿題をしないご褒美」があると知れば、どんな気持ちになるでしょうか。  そんな話を職員にすると「園長先生、それだったら『宿題グレードアップ券』があればいいですね」と言うのです。その子はもっと学びたい欲求があるので、パスという形ではなくて、「次の課題に進める」というご褒美を渡したらどうかという意見です。素晴らしいと思います。園での様子を見ていても、子どもは元来、学ぶことを楽しいと感じています。それを、「学びをパスすること」をご褒美にしては、直接的な表現でなくても、子どもたちに「学び」という定義がどう伝わっていくかが不安になってしまいます。正解、不正解というものはないかもしれませんが、ご家庭でも「宿題パス」について哲学してみても面白いかもしれません。  話は変わりますが、先日、哲学の時間を見ていると、みんなの輪の中に入れずにゴロゴロと寝転がりながら過ごしている子がいました。友達についてのテーマだったのですが、その子が最後の方でボソッと「僕のお友達は、〇〇くんと〇〇ちゃんだよ」と教えてくれたのです。「ちゃんと聞いていない」「学んでいない」「落ち着きがない」という見方もできるかもしれませんが、子どもは案外、そういう状況で学んだり、聞いたりしていることもあると思います。学んでいることと、姿勢良くしていないことは、「学び」と「マナー」で切り分けて考える必要もあるように思います。  今年度も後半に入りました。年度末に向けて、さらに子どもたちが「自ら育つ(学ぶ)環境」を職員一同追求してまいりたいと思います。まだまだ、日々の保育でもたくさんの不足、至らぬ所があるかと思います。保護者様に引き続き助言、ご指導をいただきながら、真摯に向き合い成長してまいります。  おへそ保育園・こども園・学道場統括園長 吉村直記

発達段階で達成できる 環境構成

おへそこども園3・4・5歳児のクリエイティブの環境です。 ハロウィンに向けて、子どもたちが自分たちでコウモリを作れるように準備されています。 
コウモリが最初から作れるようになっているのもあれば、
途中まで作っているのもある。
 羽を切っているのもあれば、
羽を切らずに線だけ書かれているのもある。
 折り紙を貼っている状態のものもあれば、
自分で張れるように準備もしてある。 
様々な発達段階でも達成できるように配慮してあります。
 ハサミを使える子もいれば、あまり使えないけど、ちょっと挑戦したい子もいる。 そういう、それぞれの発達段階でれぞれの意欲、関心が持てるように環境を準備することは子どもたちの育ちの過程でとても重要になってくると思います。クリエイティブの環境も、テープやのり、くれよん、はさみ、マジック、自然素材等、一般的な園では手に取って欲しくないと思えるようなものをあえて、子どもたちの手の届く所に置いて、自由に使わせています。「使わせない」のではなく、「ルールを決めて使わせて、使い方を学んでいく」という方向に変わっていく必要があると思っています。多分、綺麗に片付いた保育室で心地が良いのは大人の方で、色々な環境があって、子どもが選択できて、子どもが自由に探求できることの方が子どもの育ちとしては必要でしょう。綺麗に片付けられた保育室に「トイレに行かせる待ち時間だけ、ブロックを出して遊ばせる」みたいなことは、「保育園あるある」ですが、そういうことは早く無くなってくれれば良いと思います。

「やってあげる子育て」から「成長を応援する子育て」へ

 子どもたちに、気晴らしに何をしますか?と聞いて、ほとんどの子どもが「寝ること」と答えるのは、日本人だけだと言われているそうです。いつも先生の言うとおりにする、いつも決まったルールの中で過ごす、いつも誰かがつくった環境の中で、『行動させられる環境で生きていること』も原因でしょうか。寝ることはもちろん大切なことですが、寝る間も惜しむほどの意欲があることは素晴らしいことと思います。子どもの環境として、本来子どもが「食べる」ことが「食べさせられている」ことになっていないか、「トイレに行く」ことが「トイレに行かせられている」ことになっていないか、「ルールを守る」ことが「ルールを守らせられている」ことになっていないか等、世の中にはたくさんの見直すべき環境があるように思います。当園では3・4・5歳児に関しては、子どもたちが自分の言葉で、食べたい量を保育者に伝えます。ご飯やその他自分でよそえるものは自分でよそって食べます。子どもたちは自分で選択した意思があるので、与えられるものを食べるよりも意欲を持って食に向かいます。 藤森平司氏の著書には以下のような事例も書かれています。 『学童クラブの先生から、ある1年生の男の子がまだおもらしをして困っているというのです。私は、それは本人が排泄の自立ができていないのかと聞いて見ました。どうも違うようです。本人は何かをしているときに脚を交互に組んだりしてむずむずしているので、「トイレは?」と言うと「あっ、そうか」と言ってトイレに行くそうです。どうも、声をかけないと行かないようです。小学校に入る前はその子はある保育園に通っていたそうですが、その保育園では時間の区切りに先生が、「さあ、トイレに行って!」といつも声をかけていたようです。学童クラブでは、時間の切れ目はなく、時間を見計らって声をかけてはもらえません。やっと少しずつ自分で行くことを覚えた頃に親から要求が来ました。「学童でも、きちんとトイレに行くように声をかけないから、この子はお漏らしをしてしまうのです!」本当に子どものことを思って、いるのかと考えてしまいます。』  しかし、いくら子どもの自立と行っても子どもができないことを無理にさせるということではありません。子どもはお母さん、お父さんが、どんな時も「守ってくれる」という安心感があって、チャレンジする意欲が出てきます。「何でも自分でやりなさい!」という投げやりでは、うまくいかないことも多いかもしれません。子どもがちょっと努力すればできること、ちょっと挑戦すればできること、そういう部分は大いに任せてあげる。一方で「お母さん手伝って…」という要求を出すことができることも一つの成長ですので、要求に応えることもその子の成長です。その塩梅をご家庭でもたくさん話し合っていただきながら、保護者、園が一体となって、子どもの成長に必要な応援をしていくスタンスで子育てに関わっていければいいなと思います。9月は年中・年長さんが参加する合宿があります。年長さんを中心に、チームの名前から、現地でのプログラムまで子どもたちが協議し、企画しています。自立・協力・共生を目標にして、しっかりと学んでまいります。 平成29年 9月お便り園長あいさつより

おやつの環境

開園から数ヶ月、子どもも職員も落ち着きはじめ、保育の中身について少しずつ改善を進めています。本日からおへそこども園では、朝の園庭開放を進めています。2歳児のおやつもウッドデッキで食べることに。子どもが外に出ている中、デッキで「おやつ」の準備をすると自然と2歳児が集まってきて食べ始める姿が見られます。時間や順番等は、それぞれの子どもたちに裁量があり、子どもたちに選ぶ権利があります。おやつがどうしても食べたくない子は「食べなさい」ではなく、朝食の時間帯やその子に必要な栄養量を満たしているのだと園では認識します。この一連の流れが、園が大切にする子どもが能動的に動いている状況で、「おやつよ!食べなさい」という指示ではなく、子どもが主体的に興味関心を持って、おやつに向う構図です。 オランダのイエナプラン教育をはじめたペーター・ペーターセンは、こう言っています。 「罰や怖れ、強制によって生み出される《良い行動》は、一人の人間である子どもの個人的な生にとっては何の意味もないことであり、社会にとっても意味のないことである」 今後は、おやつの準備を手伝ってもらったり等、より主体的に子どもが自然と行動できるよう工夫をしていこうかと思います。

明るく笑う「いい子」がなぜ罪を犯すのか

「いい子に育てると犯罪者になります」の著者 岡本 茂樹 氏は、以下のようにおっしゃっています。 意外なことに、刑務所への出入りを繰り返す累犯受刑者には「いい子」だった者が多い。
自分の感情を素直に出さず、幼少期から無理を重ね、親の価値観を押し付けられ、親の期待する役割を演じることに耐えられなくなった時、積もり積もった否定感情が「犯罪」という形で爆発するのだ。
健全な子育ては「いい子」を強いるのではなく「ありのままの姿」を認めることから始まる。 幼少期に、私たちは知らずしらずのうちに価値観を取り組んでいます。
「ちゃんとしなさい」という言葉で、本来の欲求を抑圧され、子どもたちは自分の欲求を我慢し、甘えれることなく大人になっていきます。
「なぜ、こんな立派な人が・・・」と思えるニュースがたくさんあります。 ちゃんとした大人に見える人でも、抑圧された欲求があればあるほど、たかが外れると、その反動は大きいように感じます。

人は刷り込まれている価値観と「反対のことをする人」を許せないと岡崎氏は言っています。
「行儀よくしなさい」と言われて育てば、行儀よくない人を許せなくなり、行儀がよくない自分自身も許せなくなります。

正しいと思い込んでいる価値観を持っていればいる程に、違う価値観を受け入れづらくなります。 「いい子」の形ばかりを追い求めれば、監視する大人の前では感情を抑圧します。整っているように見えても心の中では、「言い分」を聞いてもらえない寂しさを持ち、整うことを演じている「いい子」になってしまうかもしれません。 非行少年や受刑者も、最初は親の厳しいしつけに従おうとし、殴られることや怒られることが嫌で、そして、愛されたい一心で、「しつけ」に従い、「いい子」になり続けるプロセスがあるといいます。刑務所で刑に服した受刑者は、反省をし続け、さらに、本音を抑圧され続けます。しかしながら、再犯率は、49.5%という驚くべき数字です。「罰を与えると、人は悪くなる。愛を与えると、人は良くなる。」岡本茂樹氏の言葉を旨に、引き続き、子どもたちに向き合っていきたいと思います。

生きづらさを抱えて生きる人たち

常に地球は自分を中心に回っていて、自分が世界の主役で、他人のどんなことも自分に関係のある事柄として考えることがやめられない。いつも何かが気になって、いろいろなことが心配になって、いてもたってもいられなるけど、次の瞬間には別のことが頭を支配して、1秒前のことも忘れてしまう。ちょっとしたことですぐに落ち込み、かと思うと急にテンションが上がる。そうこうしているうちに、十数年前の恥ずかしかった体験がフラッシュバックしてきて、当日の感覚が蘇ってきて、恥ずかしさにのたうちまわる。すると、そのとき助けてくれなかった友達に、ふいに激しい怒りが湧いてきて、携帯を手に取る。でも、携帯を見た途端、しなければいけない仕事を思い出し、気づくと思った以上に時間がなくなっていて、何もかも間に合わない。どうしていいのか分からない。  吉濱ツトム著「発達障害とどう向き合うか」より抜粋  これはADHD(注意欠陥・多動性障害)の多動・衝動性優勢型とアスペルガー症候群を併せ持つ男性が数分間のうちに起こる思考経緯なのだそう。 常に忙しく何かを考え、悲しみ、怒り、喜びなど複数の感情が同時に押し寄せ、感情の処理ができなくなる。他のことが手につかなくなる。ADHDの思考は様々でありますが、常に忙しく、追い込まれているような精神状態があるようです。  よくKY(空気が読めない)と言われる発達障がいの特性ですが、軽度のアスペルガーであれば、敏感に空気を読みすぎ、考えすぎてしまう。その気の使い方が下手で、相手を理解しないままに行動してしまい、周囲に変と思われてしまうことも多々あり、 自覚するのが早くて小学2年生と言われているそうですが、「変わっている」「浮いている」と言われ、恐怖心、不安感、劣等感、疎外感を覚えていくことが多いようです。  2012年に文部科学省が行った調査で、全国の公立・小・中学校の通常学級に在籍する生徒5万4千人のうち、発達障がいの可能性があるのが6.5%。児童40人につき、2、3人の割合と言われています。  先日、発達障がいの疑いがあるお子さんを持つ方と話す機会があり、発達障がいは生まれつきの脳機能の障がいであるにも関わらず、「それは『親の愛情不足である』」というニュアンスのことを預けている保育園から言われたととても悲しんでおられました。  一番困っているのは本人、そして保護者ですから、その家族が少しでも良い方向に進んでいくサポートをするのが私たちの役割でしょう。私自身も目が悪いのでメガネやコンタクトを使います。また、極度の方向音痴のため携帯ナビは欠かせません。何度、道を覚えようとしてもなかなか学習しないような特性を持っています。メガネがない時代では、目が悪いことが「障がい」であったと思いますし、携帯ナビがない時代に生きていれば、仕事にも影響が出ることもあったかもしれません。  「できないこと」「不得意なこと」があったとしても、精神論ではなく、「どんな力を身につければ良いのか」「どんな助けをもらうことができれば普通の行動ができるのか」「科学的にどんなアプローチで成長を促せば良いのか」という風に、子どもたちに必要なサポートをすることによって障がいを持っていても本人が幸せになれるための方法を考えてあげる場所でありたいと思っています。 まだまだ勉強不足ではありますが、全ての子どもたちが豊かな人生、幸せな人生を歩めるようなサポートができればと心から思います。

「子どもたちの願い」by Jorge Bucay

2017/8/27に、福岡で開催された「ドイツ×日本」の保育研修会にて、講師の先生が紹介された詩を皆様にもご紹介します。子ども心(ごころ)が表現された詩です。子どもが願っていることを知った上で、アプローチすることの大切さを知っていただけると思います。講師の先生は、誰の詩だか分かりませんが…ということでしたが、調べてみるとアルゼンチンの精神科医の先生の言葉だったようです。幸いなことにスペイン語であれば、少し分かるので、わかりやすく翻訳してみました。・・・・・・・「子どもたちの願い」私たちは願っています。ジャッジ(評価)することなく、話を聞いてくれることを…私たちは願っています。忠告ではなく、あなたの意見として言ってくれることを…私たちは願っています。期待することなく、信じてくれることを…私たちは願っています。躊躇なく、手伝ってくれることを…私たちは願っています。急すことなく、お世話してくれることを…私たちは願っています。あなたのフィルターを通さずに、純粋な心で見てくれることを…私たちは願っています。窒息しない程度に、抱きしめてくれることを…私たちは願っています。強制することなく、勇気づけてくれることを…私たちは願っています。支配、管理ではなく、信じて見守ってくれることを…私たちは願っています。疑うことなく、心の底から守ってくれることを…私たちは願っています。家族のように、心の底から寄り添ってくれることを…私たちは願っています。短所や苦手なところを、すべて知っていてくれることを…私たちは願っています。変えようとせずに、認めてくれることを…私たちは願っています。今日から私たちを頼ってくれることを…Jorge Bucay(ホルヘ ブカイ)アルゼンチン出身 精神科医